五月山の麓に鎮まります

〜神社由緒〜

当社は永長二年(一〇九七年)十一月十一日創建。天正年間の兵火に罹って焼し、文禄四年に村民によって再建、ついで元禄、宝暦に改造、明治四年にも造営された。その社殿は平成七年の大震災で本殿が倒壊し、平成十二年氏子崇敬者の協力で再建された。往時は石積山千宝寺という宮寺があったという。 明治五年、村社に列し、同四十年、大字畑字女郎垣内(現・畑三丁目)の愛宕神社、大字上渋谷字堀切(現・五月丘四丁目)の水神社を合祀し、同四十一年、神饌幣帛料供進社に指定された。

鎮座地

大阪府池田市畑3-15-8(旧豊能郡秦野村大字畑)

当社鎮座地の旧秦野村は、旧池田・旧細河・旧北豊島の三町村とともに現在の池田市となりました。旧秦野村は南北に細長く、現住居表示では、おおむねと断りますと、畑・渋谷・五月丘・旭丘・緑丘・鉢塚・荘園(南端は宣真高等学校付近)で、当社はその中で、北部側の地域と主にご縁があります。